2008年11月7日金曜日

#006.「島人の宝」

世界一の透明度を誇る海は、渡嘉敷の文化・自然の象徴である。

その美しさは、単に美しいというだけでなく「島人の宝」として、外部からの開発計画に地元から異を唱え、結果として保たれている。

ゆっくりと流れる時間の心地よさ。デジタル機器に追い回されている現代人の逃げ場はこのあたりまで来ないと見つからない。
都会人にとって非日常、地元の人にとって日常の風景。
最近のマンザイがボケとツッコミが自在に入れ替わるのと同じように、日常と非日常とが自在に入れ替わる、ゲストとホストが自在に入れ替わることが望まれているのだろう。
そのニーズが「ツーリズム」を21世紀のグローバルフォースにまで押し上げている。

感性とは、モノの価値に気づく感覚・能力のこと。価値観混乱の時代を生き抜くには、この感性をいつも磨いていかなければならない。





















2008年8月5日火曜日

#005.「どこまでも」続く風景

ほとんどの家のテレビがまだ白黒だった頃、タイヤのCMに「どこまーでも行こおー!」という歌があった。
そのフレーズを想い出させる環境が英国にあった。
The Lakes  (湖水地方)。

文字どおり山と湖を背景とする美しい農村風景が「どこまでも」続き広がっている。
目の前の景色に見とれているうちに、山や丘のその向こう側の風景がみたくなる。
そしてその欲求を満たしてくれるのが Public Footpath!

ある人はリュックを背負い、ある人はマウンテンバイクで、ある人は軽装で、それぞれの「どこまでも」の時間を楽しんでいる。

九州各地の「文化的景観」の所在と重ねて考えると、身近な農村風景も新たなレクリエーションの舞台として地域の活性化に欠かせない宝だ。
その可能性こそ「どこまでも」続いている。













2008年6月4日水曜日

#004.夜明けの庭

国の特別名勝でありながら、午前4時にオープンする庭園があるとは知らなかった。
「それならば是非。」という有志5名でタクシーに乗る。
運転手さんも「本当に開いてるんですか?」と。














着いたところは兼六園。
門を入って(早朝は無料)、琴柱灯篭付近を目指す。
まだ真っ暗。日の出の時刻は444分。
空が少しずつ白くなり始めると、池の水面は刻々と変わる表情を映しだしてくれた。
桔梗などの花々と新緑が美しいこの時期は、昼間だと観光客でごったがえしている。
早朝の静寂を楽しみたい市民のために開放され、園内でお茶や食事を楽しんで過ごすこともできる庭。
大規模庭園の本来の活用の姿を、ここにみた。

夜明け前














昼間











カキツバタのある流れ



















2008年5月7日水曜日

#003.うりずん

木々の芽ぶきが活発になり、心地よい南風(はえ)が渡るみずみずしい季節のことを、沖縄では「うりずん」と呼ぶ。九州福岡では五月晴れの頃が肌身の感じ方としては最もそれに近い。
「これが本当のアカバナーですよ。」と中城村で在来種のハイビスカスを見せてもらった。街路樹やリゾートエリアで見なれた外来種と比べると花が小ぶりで下向きかげん。だけど葉も花もキリッとしていて力がある。
「沖縄の気候もおかしくなってるサ。」と曇天続きで涼しい5月のスタートに違和感を感じているタクシードライバーのおじさん。
グスク道(歴史の道)の拠点の1つ、中城村の東太陽(アガリティーダ)橋を見て感動。13年前に描いていた計画通りに出来上がりつつある。
ランドスケープの仕事の成果が表れるのには時間がかかるけど、歴史的環境に関連することはせかせかしてはいけない。
少なくとも600年以上前から宿道(すくみち)として使われ続けてきた道。
これから何百回と「うりずん」を数え、歴史を刻む力を発する道となりますように。




























グスク道(歴史の道)

2008年4月24日木曜日

#002.文化的景観

その土地の風土に根ざして営まれてきた、地域の「なりわい」や生活によって培われた景観・・・。「文化的景観」の保護制度がつくられて丸3年になった。
3年前からお手伝いしてきた「からつ 蕨野の棚田」は地元のみなさんの実践意欲が実を結び、佐賀大学農学部との連携も力となって、制度を活用した地域づくりに大きな一歩を踏み出している。
九州各地の文化的景観を有する地域をみていると、過疎と高齢化の波の中でもがいているところが多い。
地域におけるコーディネーターの不在。よそもの、わかもの、バカものが必要と言われても、いないものはいないという決めつけとあきらめ感が充満してしまっている。
風景づくりのコンサルタントとしては、地域独自の取り組みのロードマップをいっしょに描き、その道すじをわかりやすく示していかねばならない。あくまでも支援者でしかないが、傍観者的ではなく、その地域のストーカー的なファンとして責任をもって併走しながら、問題点や課題を洗い出し、解決策と解決手順を提案し続けなければならない。













春の里山















柳川掘割

2008年4月22日火曜日

#001.ランドスケープデザイン

「人と自然との共生」が言われて、たぶん20年以上になる。
それは、私たちの経済・生活・環境のバランスのとり方が問われていることでもある。
例えばかつて、自然と人間が一体化した自然観が受け継がれてきた時代には、山や大木などには「神」が存在し、それを守るためのルールや季節の催事がもたれてきた。
様々な「手入れ」をくり返すことで、森の自然は保たれ、山の恵みがもたらされ、清流も維持できた。
しかし、この半世紀の急激な環境の変化は、人々が持っていた「地域に対する誇り」さえも揺るがしている。
ランドスケープデザインは、造形的に「つくる」ことを単に追い求めるのではなく、長く培われた地域の文化や環境を「まもる」ことも合わせて、トータルにとらえる「風景のデザイン」である。
そして、その地域や場所の構成要素を、より質の高い方向に有機的に結びつけ一体化させていく「関係のデザイン」でもある。








































シャクナゲの庭